崎戸・セピア

Ver.025
2003/10/12(日)曇り UP

佐藤さん秘蔵のセピア色の崎戸の9枚の写真
を公開させていただけることになりました!
佐藤さんありがとう!
左−s24・5月ごろ・シベリアの収容所内にて
   ソ連の新聞記者さんに撮影してもらった
   そうです。後の弊は4mもある丸太の弊だ
   そうです!
右−2000/10/8・シネマアルゴ梅田にて
   を見に行ったときはじめて佐藤さんと出
   会いました!関西さきと会との出会いの
   始まりでした!

1990/10/4 あれから22年・廃鉱に集う男たち テレビ放映されたビデオも
同時に送っていただきました!
是非見ていただきたいテープですので、動画か写真にするなどしてUPできるよう勉強したいと思います。



菅牟田
菅牟田の思い出
菅牟田の事を、私達子供は三軒屋と言っていました。そのわけは、昔は三軒しか家が無かったことからそう
呼んだのだろうと思います。私の知っている三軒家は、舟での交通が盛んで,蛎の浦からの荷がはいり、に
ぎわいをみせていたようです。呉服店、魚屋、豆腐屋、映画館兼芝居屋、歯科、女郎屋(日本人女郎屋と
朝鮮人女郎屋)があった。私は、この港からホカケ舟に乗って、父に連れられて蛎の浦へ大相撲を見にい
ったことを今でもよく覚えている。しかしその三軒家も大風のため大きな被害を、さらに火事に遭って完全に
打ちのめされ、二度と立ち上げることは出来なかった。賑わっていた三軒屋は此の世から消えてしまったが、
奥の方に二階建ての家が若干残っていました。

定かではないが、昭和小時代菅牟田の友達の所に遊びに行って、大きな豚の大きさに驚いた記憶がある?
また、道端に落ちている銅クズを集めて売りに行って10円20円をいただいたような気がします?
社宅の縁の下に潜ってラジオのアース線を引き抜いて持っていったら注意された!
佐藤さんは、菅牟田のも住んで居られ舟も持って居られたそうです!



一坑の集合場所?
坑内に入るときここで点検注意事項などをされていたように思います?
親父が仕事へ行くとき煙草を持って見送りや出迎えに行きました。



鉱口は何度か見たことがあるのでしょうか?大きな吸い込まれるような入り口でした!
その先は真っ暗です!
その先は、ぼくの知らない世界です!



「幾千ひろの地の底に太古の夢は息吹きして・・・」朝・夕、ヤマの神に手を合わせ炭鉱に出勤する姿が目に浮かんで来ます、
身近に改めて崎戸炭鉱の写真を見ると親父達の大変な仕事感謝してます、今石炭から石油に変わり残念ながら池島炭鉱も
閉山残念ですね、菅牟田の話は興味がありますね、又新しい情報ありましたらよろしく!
私の親父も掘進,採炭、仕繰夫と経験しながら四人の子供を育てました、私の父の難聴はダイナマイトのせいだと聞いており
ました、又塵肺にかかり入退院を繰り返し来年は13回忌です、来春は崎戸へ帰れます!
伊都さんより



貴重な坑内写真を見ることが出来て、採炭の仕事のたいへんを改めて感じます。父も左腕骨折して手がちゃんと握れないよ
うになってからも、スコップ持って仕事を続けてた事を思うと、ほんとに感謝の気持ちで一杯になります。50代ぐらいからかなり難
聴もひどくなっていました。カキコしてから思い出したんですが、難聴の件は軍隊時代の厳しい訓練も影響していたと話してた
ようなきもします。坑口の風景、8歳迄の記憶ですので混同してるのかも知れませんが、坑口や待合室(待機室?)には子供も
入れたんですか?坑口で上がって来る車の音や吹き上がってくる風の感覚が私の中に残っているような気がします。
フジやんより



父は、坑内事故で亡くなりました!
兄は、18歳になると、すぐに、大崎校の定時制に通いながら採炭夫として坑内に入りました!
兄でも、採炭現場は、とても怖かったそうです!
兄のころは、鉱脈が薄くハイツクバッテ石炭を掘り出したとのことですが
恐がりの、ぼくは、たぶん、閉山していなくても坑内に入ることはできなかったでしょう。



採炭現場写真UP有難う御座います!
坑口に傘を持って父を向かえに行った時真っ黒い顔で出てきた人垣の中で父を探していたのを思い出します。坑内の中で
働いていると塩分が欲しくなるとかで何時もアルミのドカ弁に梅干を入れた「日の丸」弁当を持って30過ぎから採炭夫として
働き育ててくてた父に感謝しています。それを思うと親孝行したいと思ってきました!かっちゃんのお父様が坑内事故で亡
くなられた時の悲しみを思うと胸が詰まります。弟さんの吉三さんが机に伏せて声をアゲテ泣き出した光景いまだに忘れられ
ません。本当に悲しくて辛かったのですね・・・5年・6年の時の私の記憶の中で一番残っています!
昭和37年神戸へ経つ時の船の別れも辛くて悲しくて崎戸の湾を出た途端涙が溢れ嗚咽してしまいました。船の別れが一番
酷ですねぇ!崎戸の想いで写真集・ビデオヨロシクお願いします。
りっちゃんより



西方の彼方の、小さな島 崎戸!日本の一時代を支えた石炭で大繁栄をしました。
高校を卒業するまでの18年間弱を崎戸で自然の子として生かしてもらいました!
昭和38年、我が家族も神戸へと別離の舟に乗りました。
毎日のように蛎の浦港では別れの汽笛が鳴り響いていたことでしょう!



崎戸セピア掲示板

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